教えるというもの

 教えるほどうまくいかないものは無いと思います。
基本的には教えない。
そういうと偏見がありますから説明しますと、
教えるのは取っ掛かり、基本、基準となるものの説明。
つまり、最終的な完成の形ではなく、
そこに向かうまでのやり方を示すだけでいいのでは。
と思うのです。


 おいしいお料理も姿かたちは良くても味が無ければ、
だれも食べないでしょう。
盛り付けなんかは後でできるけれど、
お料理がおいしいというのが根底にあって、
それで初めてお料理になるのです。


だから教えない。
コレを作りなさいと言うのは間違い。
味付け、鍋の洗い方、野菜の切り方、、、、
そういうのを教えて、自分で工夫しだしてできたお料理が
「野菜炒め」だったとします。
そのお料理を「野菜炒め」っていうんだよ、
って教えてあげるのが本当の教えるです。


 自分の価値感や観念で教えると形だけになりますので、
学ぶとか、工夫するとかそういういろいろやってみる
創造力を伸ばしてあげるのがいいのではないか?
指導をする上で重要な事だとお思います。



 究極は、お客さんが「さっぱりしたものが食べたい」
とおっしゃったときに何を出すか?


たいていは自分の知っている、そう感じている
「さっぱりしたもの」をお出しすると思います。
しかし必ずしも自分とお客様の感じるさっぱりは違うと思います。
一流の人はなぜさっぱりしたものなのか?
この人のいうさっぱりとは何か?を読んで料理を作るはずです。


そこまでいくには形だけを作っていては、
とうていたどり着けない領域です。
やはり自分で見つけ、発見し、つかんでいくものだと。



そう進んでいけるのも教える指導者次第なのかナ。