要求を読む

 「教えてもらった体操を毎日やっています。これでいいのかわからないのですが・・・」と言う会話の中で、ちょっとまてよと思ったことがあります。話の流れでいけば、「はい、この体操はあなたの場合、こうやって・・・」と説明に入るわけですが、その前に「毎日やっています」という報告じみた言葉がひっかかります。


もしやこの方は、体操の方法や具体的にどうすればいいのかを効きたいのではなくて、やりきれない思いや、頑張っている自分を聞いて欲しいのではないか?と、思ってしまったわけです。
心理指導ということでたまに講座の中でお話をいただきますが、どうやって使ったらいいのか、いつ使うのか?臨床例の中である話をそのままノートに書いて覚えたところで、当てはまるわけがありませんし、ドウイウコトナノダロウ??といつも考えてました。


 この患者さんには「よく毎日続けましたね。みんななかなかやらないんですよ、たいしたものです」と体操の方法を述べるのではなくて、体操をしたことを認めるということをしました。そうではないか?と感じたので、そのままぶつけてみたわけです。最初に感じた勘が一番正確である。とよく言われますし、まよって言葉を選ぶより、自分の体から出た言葉でそのまま相手に投げ返してみる。こういうことではないのか?


 いまごろになって気付いたのですが、今日もこうしてこれでよかったのだろうか?と反省しています。